私は、この映画を観た後で観客に意見を表明して もらいたいと望んでいる。どんな意見でも全くかまわない。 私たちが、自分や他人に対して日々の習慣として何気なく 受け入れていることで、実は知らぬままに相手を コントロールしたり、ダメージを与えたりしていることがある。 宗教映画として観るだけでなく、この映画を通して、 そういうことにも気づいてもらえるとうれしい。 クリスティアン・ムンジウ(監督)
脚本

2005年6月、ルーマニアの修道院で起こった「悪魔憑き事件」()のニュースは国内を駆け巡っただけでなく、世界中に衝撃を与えた。元々ジャーナリストであったクリスティアン・ムンジウが、この事件に興味を惹かれたのは当然のなりゆきだった。
その後、当時BBCで働いていたジャーナリスト、タティアナ・ニクレスク・ブランが、この事件に関する調査を行ない、2冊の「ノンフィクション・ノベル」として発表した。この小説は、舞台化され、ニューヨークで上演されたが、その時、ちょうど『4ヶ月、3週と2日』のプロモーションでニューヨークを訪れていたムンジウは、ブランと会い、事件について話し合った。
映画化に向けた動きが出てきたのは、2011年に、ムンジウが、ブカレストでブランと再会してからだった。
「このような題材が映画にふさわしいかどうはわからない。しかし、試してみないことにはわからないではないか。」 そう考えて、ムンジウは、まず、ブランの本を基に、脚本を書いてみることにした。しかし、最初に書いた脚本はうまくいかなかった。実際に起こった出来事を正確にたどることに力が入りすぎていたのだ。
「私が書いた最終的な脚本は、修道院で起こったことの再現ではない。フィクションなんだ。できるだけオリジナルの物語から離れて、強い感情を引き起こすポイントを作り出そうとした。」
何が罪なのかということも大事だが、もっと別のことにより多くの関心を寄せている。たとえば、信仰という名のもとで人々が行なっていることや、善と悪を区別することの難しさ、不寛容よりももっと重い罪である無関心のこと、さらには、愛と選択や、人々が自由意志を持てなくなる状況についてだ。
撮影用に用意した脚本は245ページもあった。それを220ページにし、撮影初日までに180ページに削った。それでも、撮影中に書き直さなければならなかった。
「こんな複雑で長く入り組んだ物語を映画化するには、最初からすべての局面をコントロールすることなどできないし、映画それ自体が生命を持って動き始めたら、それがどう転がるか、しっかり目を見開いていなくてはいけない。」


  • 2005年、ルーマニアの片田舎の修道院(正教会)に友人を訪ねてやってきた当時23歳の女性が、「悪魔祓い」と伝えられる行為によって亡くなった。そのニュースは国内だけでなく世界中に衝撃を与えた。
    女性は修道院で発作を起こし、医師には統合失調症と診断されたが、修道院では彼女の病が悪魔の仕業だと考えられた。彼女を救うために、悪魔祓いの儀式が二昼夜続けられ、その結果、急性心肺不全が原因で死亡。儀式に関わった神父と4人の修道女は、不法監禁致死罪で逮捕。2008年、裁判の結果、神父たちには実刑が下される。
    彼らは現在、出所しているが、再び僧衣を着ることは認められていない。
キャスティング

ムンジウには、脚本を書いている最中から決めていた俳優がいた。それは、映画学校時代からの古い友人で、彼のすべての映画に出演しているヴァレリウ・アンドリウツァだ。  
アンドリウツァは、何年か前に俳優をやめて、アイルランドに移り住んでいた。映画化が決まるかなり前に彼に電話して、ひげを生やすことができるかと聞いた。月日が流れて、彼のひげが長くなった頃、彼と一緒にこの映画をやることを決心した。彼を呼んで、数行の台詞を読んでもらったが、その時点で、彼の役(司祭役)に関してはもう別の俳優を探す必要はないとわかった。
女性キャストを探すことは難しかった。アリーナ役のクリスティナ・フルトゥルは、インターネットで見つけた。一方、ヴォイキツァ役のコスミナ・ストラタンは、キャスティング・テストが決め手になった。
「彼女は、テストの最中に涙を流し始めたんだ。アプローチとして、必ずしもそんな必要はなかったが、彼女が生み出し、伝えようとしたエモーションは印象的だった。」
映画は、ルーマニアでもとりわけアクセントの強い地域、モルダヴィア地方を舞台にしている。だから、最初から、キャストはその地方から選ぼうと決めていた。後からわかったことは、フルトゥルもストラタンも、ムンジウの故郷であるモルダヴィアのヤシ出身で、最終的に選ばれた俳優たちの大半がそうなった。

劇中画像
撮影

撮影には、困難がつきまとった。修道院とそのまわりの建物を作らなければならなかったし、極度に寒い冬に撮影しなければならなかったから。セットは、ブカレストから100キロ離れた静かな小さな町の上にある丘に作られた。クルーは、家から離れて、そこで何ヶ月も生活することになった。
特に難しかったのは、映画のシチュエーションそれ自体に大きな危険がはらんでいることだった。一緒に働く者の中には、全く異なる宗教的信条を持っている者もいた。演じているキャラクターとは意見が異なると訴える者もいたのだ。
天気の問題もある。冬に撮影する場合、次の日どうなるかわからないし、あらゆる事態に備えなくてはならない。雪にも困らされた。予想はしていたが、現実はそれ以上だった。しかも、ルーマニアでは近年にない厳しい冬だった。
「この映画は、事件そのものと同じくらい、ディテールや小さな出来事も大切にしたかった。というのも、彼らが生活している世界や、彼らの信仰を理解するためにはそれが必要だったからだ。バックグラウンドに関する情報を知らずに、事件を前後の文脈だけで語ってはいけないし、それがどのようにして起こったのかも理解できないだろう。」

PG12 映倫