映画の舞台となる修道院はルーマニア正教会の修道院。ルーマニアでは多くの国民(約8割)がルーマニア正教を信仰している。もちろんルーマニア正教以外の宗教を奉じる人々(カトリック教会、プロテスタント(カルヴァン派、ルター派)、ユダヤ教、イスラームなど)も存在する。
ルーマニア正教会は、ギリシャ正教会やロシア正教会、日本ハリストス正教会などと同じく「東方正教会」の一派で、国や名称は違っても、別の「宗派」などではなく、同じ教義・同じ信仰を有している。
もともとは1つのキリスト教教会だったが、教義や教会のあり方など歴史的な対立を繰り返し、1054年東西教会の分裂により、カトリック教会(西方教会)と、 東方正教会に分かれて誕生した。正教会には、カトリック教会のような教皇(絶対的な権威)が存在せず、それぞれの国の正教会は互いに独立した関係にある。
「正教」とは、英語で“Orthodox”(オーソドックス)と表記されるように「正しい教え」を意味し、正教会では、これまで受け継がれてきた伝承を大事にし、実践している。その中心になるものとしての聖書、そして祈祷や儀式をはじめ、聖歌・イコン・教会建築までが含まれる。決して恣意的な変更は認められない。
ちなみに、日本には、19世紀後半(明治時代)に、ロシア人修道司祭の聖ニコライ(のち初代日本大主教)によって正教の教えがもたらされ、その後の日本ハリストス正教会の設立につながった。東京・お茶の水にあるニコライ堂(東京復活大聖堂)は日本にある代表的なビザンティン建築であり国の重要文化財としても有名。
「イコン」はもともとはギリシア語の「形」「像」を意味し、一般に「礼拝用板絵」のことを指す。正教会の信者が祈り、口付けする、聖なるものとして扱われる。これは、「イコン」自体を信仰や崇拝の対象とするのではなく、信仰の媒介として、信徒に神の国を示すための「聖なるもの」と考えられている。
映画本編では「聖像画(イコン)」で統一表記している。
信仰生活の中心にあるのは、日々の儀式や祈祷だが、その中でも、特に大切に考えられているのが、日曜日や祭日に、信者を集めて行なわれる祈祷で、信者は、ここでキリストの体と血となったパンと葡萄酒を食する。
正教会において、年間の行事の中で、最も重要と考えられているのが、復活祭。復活大祭は、死から生へ、罪から赦しへという転換が、キリストの再臨によって示されていると考え、その復活を祝う。
修道院とは、キリスト教の修道士が、イエス・キリストの精神に倣って、祈りと労働のうちに共同生活(修道生活)をするための施設のこと。男子修道院と女子修道院がある。修道士は独身が原則だが、子供が成長した後、修道院に入って、修道士・修道女となる場合もある。
正教会の聖職者には「主教」「司祭」「輔祭」の3つの役職があり、修道士は、主教から任命されて、輔祭や司祭になる。修道女は輔祭や司祭になることはできない。
本編に登場する「司祭」は尊称として呼ばれる「神父」を採用している。
単なる集会所や祈祷所ではなく、神の国の象(かたど)りとして聖堂の形や内装にはそれぞれ深い意味が込められている。上から見た形としては、「十字架」か、ノアの箱舟を象った「長方形」が選ばれる。聖堂の内部は、信者が祈り、儀式を行う「聖所」があり、一番奥には宝座や奉献台が置かれている「至聖所」が設けられている。至聖所は聖堂の中で最も重要な場所で、ここに出入りできるのは聖職者とその補助者のみ。
本編では、アリーナが「至聖所」に無断で入ったことを神父に咎められるシーンがある。
ルーマニアでは、1948年に宗教法が出され、教会は国の統制下に入った。修道院の多くは廃止されて、職業センターに作り変えられ、聖職者たちは、別の世俗の職業を探さざるを得なくなった。1989年にルーマニア革命で共産党政権が崩壊すると、国から教会への統制は廃止された。
カトリックや正教会、プロテスタントなどキリスト教各宗派では、礼拝の仕方など宗教的慣習が異なっており、それぞれを区別するために、翻訳の相違も含めて異なる用語が用いられる。 日本の正教会では、通例として、日本ハリストス正教会の用語・訳語を用いることが多い。
本作の日本語字幕では、一般鑑賞者になじみの少ない用語を使うことは控え、なるべく一般的な宗教関係用語を採用している。たとえば、罪を告白する行為(正教会では「痛悔(つうかい)」)を「懺悔(ざんげ)」と表記した。また、「イエス・キリスト」(正教会では中世ギリシャ語に由来する呼び方「イイスス・ハリストス」)や「聖母マリア」(生(しょう)神女(しんじょ))の表記も慣例に従い、前述の表記を用いている。

以下に、本編に登場する主な用語を記す。
機密(きみつ) キリストが定めた神の恩寵を授かる儀式のこと。カトリックでは「秘跡」。
懺悔(ざんげ) 日本正教会では「痛悔(つうかい)機密」。
機密のうちの1つで、他に「聖体」「洗礼」など合わせて7つある。
大斎(おおものいみ) 復活祭前の40日間を指し、節制や祈祷を行う。カトリックでは「四旬節」。
復活祭 日本正教会では「復活大祭」。ギリシア語・ロシア語読みで「パスハ」とも呼ぶ。「イースター」と同義。復活祭は、「春分の後の最初の満月の直後の日曜日」とされ、一般に正教会ではユリウス暦の3月21日をもって春分の日としている。
本編の「懺悔」シーン 
教会法によって定められた儀式・宗教行為で、準(じゅん)秘跡(ひせき)(サクラメンタリア)のひとつ。「秘跡」とは、キリスト教において「信者が神から恩寵を授かる儀式」のことで、「悪魔祓い」はそれに準ずる儀式とされている。
悪魔祓いの儀式とは、「悪魔(悪霊)に憑かれた」と判断された者から、悪魔(悪霊)を追い払い、魂の浄化を行なう。イエス・キリストが、悪霊を追い払い、病を癒し、弟子たちに悪霊を追い出す権威を授けたとされることに基づく。
特殊な儀式があるわけではない。「ローマ典礼儀式書」(聖歌集や祈りの言葉、典礼の作法など記載、正教会では「ビザンティン典礼」)の中に記される「悪魔祓いの儀式に関する項目」に則って祈りを捧げる。
原則的に非公開で行われ、儀式の執行者と補助者、医師、親族のみ立会いが許される。カトリックで、悪魔祓いを行なう司祭を悪魔祓い師(エクソシスト/祓魔師(ほつまし))と呼ぶ。民間の呪術師や自称悪魔祓いとは異なる。
近年では、悪魔祓いに関して教会に相談に訪れる信者が多くいると言われる。2004年には、カトリックの総本山であるヴァチカン市国内にある大学で「エクソシスト養成講座」が開講され話題となった。悪魔祓い師の認定を受けられるのは聖職者のみで、現代のエクソシストたちは、心理学者や精神科医と連携することを必須と考えており、悪魔憑きであると判断するケースはごく稀で、相談者のほとんどは神経症や精神疾患をこじらせている場合が多いう。
実際に起きた悪魔憑き事件の歴史的事例はいくつかあり、17世紀フランスのルーダンの悪魔憑き事件(『尼僧ヨアンナ』(61)として映画化)、1976年ドイツのアンネリーゼ・ミシェル事件(『エミリー・ローズ』(05)として映画化)などがある。
本作で唯一流れる音楽は、ヴォイキツァがアリーナのために歌う、「眠れよい子よ~」のフレーズから始まる日本でもなじみ深い「モーツァルト(フリース)の子守唄」。本編エンドロールでもこの曲がBGMとなって流されている。この曲は、長い間モーツァルト作曲とされてきたが、近年、ドイツの研究家により、モーツァルトと同時代に生きたオーストリアの作曲家ベルンハルト・フリース作であることが判明した。










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