ファン・ギュドク監督インタビュー
俳優たちのキャスティング理由と、それぞれの印象はいかがですか?
一番大事だったのは、映画には製作費がかかるという事で(笑)、いい俳優をキャスティングしないと製作費は集まりません。チョン・ギョンホはまだあまり知られていませんが、将来性があり、熱心なファンもいる俳優です。今回彼は非常に難しい役どころだったので、シナリオを渡した段階で、果たして受けてくれるか心配だったのですが、運良く彼は承諾してくれました。チョン・ギョンホが決まったのを知って、他のキャストたちもシナリオに信頼を寄せてくれたので、そのあとは楽でした。
撮影期間はどれくらいかかりましたか?
私は撮影期間が短い監督という事で有名で、デビュー作は13日で完成し、それは未だに韓国映画界で神話的に語られています(笑)。今回も早撮りで、8月25日から10月3日の間、28日間で全て終了しました。ただ、撮影は早いのですが、その後の編集作業などはゆっくりと、味わいながらやるスタイルです。
この映画の撮影で難しかったのは、ほとんどが夜のシーンだったこと。スタッフも俳優も皆徹夜で作業したのが大変でした。
スジとピッピのエピソードがとても印象が強いのですが、対空射撃の流れ弾でスヨンが亡くなったり、学生運動の最中にピッピが自殺するなどのエピソードは、監督が学生時代に体験した事に基づいているのでしょうか?
実際自分で経験したエピソードというのではなく、その時代に自分がよく見聞きしたエピソードです。例えばパク・チョンヒ大統領が殺されたすぐ後に光州事件があり、そんな中で私は青春期を過ごしました。実際大学の図書館の屋上から学生が飛び降り自殺をしたり、そういう事が頻繁に行われて、辛い、悲しい記憶をピッピという人物などにあてて作りました。
(対空射撃のエピソードについては)それは実際あった事で、70年代半ば頃はパク・チョンヒが軍政をしいて独裁政治を行っていた頃です。彼は自分の政権を維持するために国民や社会に対して恐怖を与え、北からの侵略といったものをつくらなくてはならなかった。それで実際は飛行機は飛んでこないのに空に撃ったりしたのです。今まで抑圧されてきた韓国の人たちは、私と同じ世代の人なら「そういえば昔はああいう事が頻繁にあったな」とすぐ思い出してくれます。
韓国では、この映画は監督と同世代の人がいちばん反応しているのですか、それとも若い人も映画を観に来てくれているのでしょうか?
そうですね、実際映画館に行ったことがないのでよく分からないのですが、プチョン国際ファンタスティック映画祭のオープニング作品だったので、その時はいろいろな世代の人がいて、特に男性よりは女性の方がこの映画に感情移入しやすかったのかな、と感じました。それから若い世代の反応もよかったのですが、特に良かったのはやはり私と同世代の観客です。
既に亡くなっている人物と一緒のシーンと、現実に生きているシーンでは
微妙に画面のトーンが変わっている気がしましたが?
過去のところはカメラを手に持って撮りましたし、教授が学生たちに話をする現実の部分は固定で撮ったので、言われて見れば現実と過去の部分は意図的に撮り方を変えています。
ファン監督の今までの作品は学校を舞台としたものが多いのですが、それはご自身も学校で教鞭をとったりしている事が影響していますか?
そうですね、これからは、本当はちょっとセクシーな愛の物語みたいなのも撮りたいのですが(笑)学校はいろんな人が集まって一緒に成長していく場所なので、学校というところを設定するといろんな物語が出来る。それが原因で私は学校を舞台にした映画を撮っているのではないかと思います。高校を舞台にした映画もあるし、小学校の映画も。韓国では「学校映画をよく撮る監督」みたいな形で知られているので、もうやめようかと思ってるんですが(笑)
次回作は決まっているのですか?
2〜3本ほど企画がありますが、全部ジャンルはファンタジーです。私は今までは現実に根を下ろした、リアリズムの映画を追求していて、10年間映画を撮っていませんでした。その間ずっと考えているうちに、リアリズムから離れて、人生というものが持っている神話性、ファンタジーのようなものを撮ってみたいと思うようになりました。たぶんこれからはファンタジーを中心に撮っていくのではないでしょうか。
それはフランスに留学したことが影響していますか?何か向こうでいろいろな映画を観たとか、影響を受けた監督とか、いたりするのでしょうか?
私はフランスに留学したのではなく,、移民でした。ですから勉強はしていないのですよ。フランスで人生を送ろうかなと考え、ヨーロッパを旅行して、イギリスとかチェコとか色々な国々をまわり、その町の美術館とか博物館に行ったのです。たくさんの芸術に直に接していく内に、だんだん自分の中で人生というものの神話性や象徴性に気が付き、考え方が徐々に変化したのだと思います。
影響を受けた、あるいは好きな監督はいますか?
日本の監督のなかでは溝口健二監督の映画を何度も観て、映画の勉強をしました。彼の『雨月物語』はとても素晴らしく、これからも何かの機会に必ず観る作品です。溝口監督の映画を観ていた時はあまり小津安二郎は好きではなかったのですが、歳をとってからは小津の映画が好きになりました。最近観た日本映画では『ジョゼと虎と魚たち』が好きです。
脚本に3年かかったと仰ってましたが、何故そんなにかかったのでしょう?
最初書いた時には15日間で書き上げたのですが、出来上がったら内容が非常に難しい、重い物語だったので、これをどうすれば若い世代にアピールできるのかと考えて、ラブストーリー的な要素を付け加えてみたのですが、その作業に一番時間がかかったと思います。コーエン兄弟の『バーバー』という映画を受けついだ感じの、嘘なのか真実なのかよく分からない微妙な物語を撮りたかったのですが、プロデューサーは香港映画の『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』みたいな物語を求めていて、そのバランスをとる作業が大変でした。
(2007年10月22日東京・六本木にて)
協力:東京国際映画祭