''何か"に対する怒りを持っている人間でいるかどうか ''目をつぶってしまう人間でいるかどうか"そんな思いをぼくはこの映画から感じた。心して観ないとあなたは打ちのめされてしまうだろう。— 竹中直人(俳優・映画監督)
目が離せなかった。ひとりの女によって変容していく人々の心、鋼のように変わることのない女の心。この映画の凄みはそのふたつの対比を描くために(ラヴ・ディアスにしては短い、でも短くはない)4時間弱を惜しげもなく費やしたことだ。美しく静かなモノクロームの光は脳内麻薬を誘発し、いつしかこの瞬間が終わらないで欲しいと願うようになる。なんて贅沢な時間だろう。— 深田晃司(映画監督)
共感を拒否するかのような客観的な視点が徹底されているかと思いきや、絶妙のタイミングで主観となり、さらにはピンボケさえも決定的なショットとなる。 「これを観よ」と「解釈はご自由に」が両立する幅の広さに驚かされた。映画の古典手法を守るかのような作品だ。— 松江哲明(映画監督)
長回しによる日常がいつのまにか異界に変わる瞬間をあなたは見抜くことが出来るか。 フィリピン版母物であり変則的な復讐譚に違いはないが、すでにしてそれは神話的領域に達している。— 伊藤俊也(映画監督・『女囚さそり』シリーズ)
その町の路地の、湿ったアスファルトの感触が身体に残る。 目の、耳の、想像の、体感の深度が深まる強烈な映画体験。 現実と神話、瞬間と歴史。 そこに境界はないことを俯瞰するまで、わずか228分!— 町山広美(放送作家)
怪物ディアスは時間の魔術師だ。人や風景ばかりか時間までもが語り出し、沈黙を重ねる。美しいモノクロの画面からは、光と影に誘われ、残酷さと優しさが溢れ出し、素晴らしい映画だけが知っている彼方へと私たちを運び去る。— 小野正嗣(作家)
光の下で微笑み、暗闇の中に立つ女。 スクリーンを見つめるうち、いつの間にか、ホラシアと同じ時間を私もまた生きていた。 それはとても美しく穏やかで、だが驚くべき体験だった。— 月永理絵(エディター&ライター)
3時間48分と聞き、忍耐力を試すつもりで観始めたら、いきなり引きこまれて最後まで。途中休憩不要の面白さ。エンタテインメントといっていいほどの迫力が魅力だ。普通のモノクロ映画とは対照的に、光が強烈な作品。それなのに、観終えると、深く、重く、心に低く響く。— 金原瑞人(翻訳家)
白黒の映像が印象的な作品だ。フィリピンの熾烈な太陽の光が白トビを起こす昼間のシーンと、まばらな街灯がレトロな趣の街角を浮かび上がらせる夜の街角のシーンは、まるで異次元に存在するかのようだ。物語は、冤罪で30年の獄中生活を強いられた女性と、性的暴行の被害者であるトランスジェンダーの女性が育む友情という風変わりなもので寓話性に富み、極端な長回しのカットにより、そこがどこなのか、いつなのか、夢なのか現実なのか、分からなくなる瞬間に私たちは翻弄され、魅了される。— 近藤健一(森美術館キュレーター)
モノクロームに素晴らしき色があり、沈黙に得難き声があり、闇のなかに姿がある。社会の片隅で忘れ去られる運命にある些細な人生にも、それをゆっくり時間をかけて丁寧に見つめれば、深遠な問いと崇高に通じる豊穣が得られるーそれを明らかにする、驚愕の眼差し。どんな人間にも生きる価値があることを確かめに、わたしたちはドストエフスキー的深淵へと誘われる。その場所で、ラヴ・ディアスの芸術は、わたしたちの知覚を変える。映画館を出た後、雑踏の顔が違って見えてくる。— 港千尋(写真家・写真評論家)
いつからありふれた定形を組み合わせたようなものが、「映画」と呼ばれるものになってしまったのだろう。ラヴ・ディアス監督の映画には、時間そのものを、世界そのものを丸ごと表現したいという、息苦しいまでの葛藤がある。この葛藤こそが表現であり、「映画」と呼ぶべきものなのかもしれない。— 周防正行(映画監督)
ストーリーを要約してしまうならば、これはメロドラマである。悪計によって30年の服役を強いられた女がおり、その復讐という主軸の周辺に奇妙な男女が何人か配置される。 しかし映像と進行はこのストーリーの要約をことごとく裏切るのだ。舞台風のモノクロームの構図と計算された照明、少ない人数のゆっくりとしたやりとり、アップの抑制、すべてを語らない謎めいた展開。 観客は、話の先を読み取ろうという努力と、美しいスクリーンがもたらす陶酔の間を行き来しながら、うかうかと4時間近くを過ごす。これもまた映画の快楽の一種である。— 池澤夏樹(作家)
モノクロ長尺映像で描かれる、人生を壊された女の復讐劇。色もカメラワークも音楽もない。時間の流れだけが物語を写す。しかし、そこには優しさに彩られた愛が満ち溢れている。あなたが培った映画のリズムをスローに破壊し、再生する3時間48分。— 小島秀夫(ゲームクリエイター)
聖でも俗でもなく、美しくも醜くくもある、混沌とした「生」を切り取るディアス監督の眼差しは、ひたすら美しい。この作品は記憶の宝物になった。— 手塚眞(ヴィジュアリスト)
ホメロス、シェイクスピア、タルコフスキー、ジェイムズ・ジョイス、溝口健二、プルースト、黒澤明、ドストエフスキー…彼らがラヴ・ディアスの中庭で一堂に会したかのようだ。偉大なる永遠の傑作。— AlloCiné
偉大な作品。 — Le Monde
緻密に組み立てられた、美しくも忘れがたい作品 — The New York Times
夢中になる面白さ!チャールズ・ディケンズのような視点と高い芸術性が融合した、まさに偉業だ。— The New York Times
罪の意識、神と暗い復讐心にまつわる忘れがたいドラマ。 — The Guardian
とんでもなく不可解で超絶的に面白い、世界の果てまでの魅惑的な旅! — Cinema Scope
人間への共感と濃密な感情が凝縮された、全てのショットに心を奪われる! — The Hollywood Reporter
簡明で、かつ強く心に響く復讐のドラマ — Film Journal
絶賛の声!続々到着!
''何か"に対する怒りを持っている人間でいるかどうか ''目をつぶってしまう人間でいるかどうか"そんな思いをぼくはこの映画から感じた。心して観ないとあなたは打ちのめされてしまうだろう。— 竹中直人(俳優・映画監督)
目が離せなかった。ひとりの女によって変容していく人々の心、鋼のように変わることのない女の心。この映画の凄みはそのふたつの対比を描くために(ラヴ・ディアスにしては短い、でも短くはない)4時間弱を惜しげもなく費やしたことだ。美しく静かなモノクロームの光は脳内麻薬を誘発し、いつしかこの瞬間が終わらないで欲しいと願うようになる。なんて贅沢な時間だろう。— 深田晃司(映画監督)
共感を拒否するかのような客観的な視点が徹底されているかと思いきや、絶妙のタイミングで主観となり、さらにはピンボケさえも決定的なショットとなる。
「これを観よ」と「解釈はご自由に」が両立する幅の広さに驚かされた。映画の古典手法を守るかのような作品だ。— 松江哲明(映画監督)
長回しによる日常がいつのまにか異界に変わる瞬間をあなたは見抜くことが出来るか。
フィリピン版母物であり変則的な復讐譚に違いはないが、すでにしてそれは神話的領域に達している。— 伊藤俊也(映画監督・『女囚さそり』シリーズ)
その町の路地の、湿ったアスファルトの感触が身体に残る。
目の、耳の、想像の、体感の深度が深まる強烈な映画体験。
現実と神話、瞬間と歴史。
そこに境界はないことを俯瞰するまで、わずか228分!— 町山広美(放送作家)
怪物ディアスは時間の魔術師だ。人や風景ばかりか時間までもが語り出し、沈黙を重ねる。美しいモノクロの画面からは、光と影に誘われ、残酷さと優しさが溢れ出し、素晴らしい映画だけが知っている彼方へと私たちを運び去る。— 小野正嗣(作家)
光の下で微笑み、暗闇の中に立つ女。
スクリーンを見つめるうち、いつの間にか、ホラシアと同じ時間を私もまた生きていた。
それはとても美しく穏やかで、だが驚くべき体験だった。— 月永理絵(エディター&ライター)
3時間48分と聞き、忍耐力を試すつもりで観始めたら、いきなり引きこまれて最後まで。途中休憩不要の面白さ。エンタテインメントといっていいほどの迫力が魅力だ。普通のモノクロ映画とは対照的に、光が強烈な作品。それなのに、観終えると、深く、重く、心に低く響く。— 金原瑞人(翻訳家)
白黒の映像が印象的な作品だ。フィリピンの熾烈な太陽の光が白トビを起こす昼間のシーンと、まばらな街灯がレトロな趣の街角を浮かび上がらせる夜の街角のシーンは、まるで異次元に存在するかのようだ。物語は、冤罪で30年の獄中生活を強いられた女性と、性的暴行の被害者であるトランスジェンダーの女性が育む友情という風変わりなもので寓話性に富み、極端な長回しのカットにより、そこがどこなのか、いつなのか、夢なのか現実なのか、分からなくなる瞬間に私たちは翻弄され、魅了される。— 近藤健一(森美術館キュレーター)
モノクロームに素晴らしき色があり、沈黙に得難き声があり、闇のなかに姿がある。社会の片隅で忘れ去られる運命にある些細な人生にも、それをゆっくり時間をかけて丁寧に見つめれば、深遠な問いと崇高に通じる豊穣が得られるーそれを明らかにする、驚愕の眼差し。どんな人間にも生きる価値があることを確かめに、わたしたちはドストエフスキー的深淵へと誘われる。その場所で、ラヴ・ディアスの芸術は、わたしたちの知覚を変える。映画館を出た後、雑踏の顔が違って見えてくる。— 港千尋(写真家・写真評論家)
いつからありふれた定形を組み合わせたようなものが、「映画」と呼ばれるものになってしまったのだろう。
ラヴ・ディアス監督の映画には、時間そのものを、世界そのものを丸ごと表現したいという、息苦しいまでの葛藤がある。
この葛藤こそが表現であり、「映画」と呼ぶべきものなのかもしれない。— 周防正行(映画監督)
ストーリーを要約してしまうならば、これはメロドラマである。悪計によって30年の服役を強いられた女がおり、その復讐という主軸の周辺に奇妙な男女が何人か配置される。
しかし映像と進行はこのストーリーの要約をことごとく裏切るのだ。舞台風のモノクロームの構図と計算された照明、少ない人数のゆっくりとしたやりとり、アップの抑制、すべてを語らない謎めいた展開。
観客は、話の先を読み取ろうという努力と、美しいスクリーンがもたらす陶酔の間を行き来しながら、うかうかと4時間近くを過ごす。
これもまた映画の快楽の一種である。— 池澤夏樹(作家)
モノクロ長尺映像で描かれる、人生を壊された女の復讐劇。色もカメラワークも音楽もない。
時間の流れだけが物語を写す。しかし、そこには優しさに彩られた愛が満ち溢れている。
あなたが培った映画のリズムをスローに破壊し、再生する3時間48分。— 小島秀夫(ゲームクリエイター)
聖でも俗でもなく、美しくも醜くくもある、混沌とした「生」を切り取るディアス監督の眼差しは、ひたすら美しい。
この作品は記憶の宝物になった。— 手塚眞(ヴィジュアリスト)
ホメロス、シェイクスピア、タルコフスキー、ジェイムズ・ジョイス、溝口健二、プルースト、黒澤明、ドストエフ
スキー…彼らがラヴ・ディアスの中庭で一堂に会したかのようだ。偉大なる永遠の傑作。— AlloCiné
偉大な作品。 — Le Monde
緻密に組み立てられた、美しくも忘れがたい作品 — The New York Times
夢中になる面白さ!チャールズ・ディケンズのような視点と高い芸術性が融合した、まさに偉業だ。
— The New York Times
罪の意識、神と暗い復讐心にまつわる忘れがたいドラマ。 — The Guardian
とんでもなく不可解で超絶的に面白い、世界の果てまでの魅惑的な旅! — Cinema Scope
人間への共感と濃密な感情が凝縮された、全てのショットに心を奪われる! — The Hollywood Reporter
簡明で、かつ強く心に響く復讐のドラマ — Film Journal