監督 ロイストン・タン インタビュー
――この映画の企画は、ミンディー・オンとヤオ・ヤンヤンとの雑談の中から始まったということですが。
ロイストン・タン:そうです。カフェで、三人で話していて、外国からは映画とかいろんなものがシンガポールに入ってくるけど、逆に僕たちが外国に紹介できるような、シンガポールらしいものって言ったら何があるだろうって話題になって、それならゲータイじゃないかって話したのが、そもそもの始まりです。
――ミンディーさんもヤンヤンさんも、これまではあまり映画とは縁がなかったと思うのですが、どうやってお二人と知り合いになったのですか?
ロイストン:シンガポールには、アート・フェスティバルっていうのがあって、彼女たち二人は“Stranger at Home”という作品で演劇部門に参加していて、僕はそれを撮影するという形で関わっていました。それで、二人と知り合い、気も合って、映画を作ることになったというわけです。
――日本人にとってはゲータイというのは全くなじみのないものなのですが、監督にとってゲータイとはどういうものなのでしょうか?
ロイストン:ゲータイは、陰暦7月に野外で行なわれる行事で、日本のお盆と同じように死者を弔うんですが、それだけではなくて、歌や踊りによって死者と生者をつなげるというイベントでもあります。僕も子供の頃から楽しみに見てきているんですが、驚かされるのはやっぱりあのコスチュームですね。それから、曲。曲も、なじみのあるものばかりなんですが、中身は悲しかったり、悲惨だったりしても、曲調は明るくて、聴いているとハッピーな気分になれます。
――脚本を書いている途中で、チェン・ジン・ランさんがお亡くなりになったんですよね?
ロイストン:脚本を書く前に彼とお会いして、この企画のことを話したところ、この映画の成功を祈ってるし、僕の曲も自由に使っていいよって言ってくれました。出来上がるのを楽しみにされてたんですが、第一稿を書き上げる2日前に彼は亡くなってしまいました。それは寂しいことなんですが、この映画を彼に捧げることができたのはよかったと思います。
――パパイヤ・シスターズのキャラクターには、チェン・ジン・ランさんやリウ・リンリンさんの人生を思わせるところがあります。
ロイストン:映画のためにいろいろリサーチもしてるんですが、それとは別に、以前からリウ・リンリンさんには興味があって、2年くらいベータ・カムを使って彼女を追いかけていたんです。だから、キャラクターの造型や物語に関しては、彼女の人生を参考にさせてもらってる部分が多いですね。
――『881 歌え!パパイヤ』には、冒頭から卵や卵ケース、鶏、衣装の羽根飾りなど、鶏に関するものがたくさん出てきます。これには何か意味があるのでしょうか?
ロイストン:『881 歌え!パパイヤ』では、確かに、鶏のイメージをたくさん使っています。これらは、最初は無意識のうちに出てきたものですが、クリエイティブな方法で関連づけられないかと考えて、イメージを重ねてみました。
――鶏のイメージを使って、シンガポール国民が国家からブロイラー化されているということを象徴しているのではないかと思ったのですが。
ロイストン:確かにそういう面もあります。シンガポール人は、シンガポールという工場で製造される機械のようなもので、生まれるとすぐベルトコンベアーに乗せられて、あなたはこっちの学校、あなたはこっちの学校という風に、振り分けられ、道が決められていきますから。
――パパイヤ・シスターズとドリアン・シスターズは、対決シーンで、カットがかかってもつかみ合いをやめなかったと聞いています。これは、双方が本気でいがみ合うように監督が演出した、仕向けていったということなのでしょうか?
ロイストン:彼女たちに強調したのは、「これからフルーツ戦争が始まるんだ。いいね、パパイヤとドリアンが闘うんだよ」ということです。最初は、パパイヤたちの方が怖がるんじゃないかと思ったんですが、実際にやってみると怖がったのはドリアンたちの方で、ドリアンたちは怖がって逃げ出しちゃったほどなんです。彼女たち2組とも衣装は一着ずつしかないということは知っていましたから、1回で、つまり衣装が崩れてしまう前にそのシーンを撮り終えなくてはいけないと知っていましたから、相当プレッシャーもかかっていたんだろうと思います。
――インディアンや日本の着物の衣装は、監督のアイデアだと伺いました。
ロイストン:ゲータイはシンガポール特有のものですが、あのシーンでは、『80日間世界一周』みたいに短い時間で世界一周をしているようなというか、国際色豊かな舞踏会みたいな雰囲気を出したかったんです。
――音楽監督のエリック・ンには、楽曲についてどのような指示を出したのでしょうか?
ロイストン:指示というか、進め方としては、彼の家に行って、このシーンはこんな感じ、このシーンはこんな感じという風に、彼の前で演じてみせました。そうすると、彼は画的にどんな曲が必要かってわかってくれる、というわけです。僕は、音楽用語はわからないので、そういうイメージを伝えました。
――この映画に使われている楽曲の中で監督が最も気に入っている曲はどれですか?
ロイストン:“Mami No.3 三号媽咪”(注1)ですね。この曲は、踊り子がテーマになっているんですが、そういう曲って他にはないし、ゲータイで歌う時にはお客さんからタバコをもらって歌うという、お決まりのやりとりがあって、それが面白くて大好きです。
――“12 Lotus Flowers 12蓮花”(注2)は、次回作のモチーフにしてしまうほど、監督の思い入れがある曲だと聞きましたが。
ロイストン:この曲は、華人のお葬式で流れる曲なんですが、すごく訴えてくるものがあります。演劇でもよく使われるし、この曲を聴いているだけで浮かんでくるイメージがあって、それが新作につながっていきました。
――映画の中では、“One Half 一人一半”、“Half Each一人一半感情不散”(注3)という曲が、印象的に繰り返し使われていますね。
ロイストン:“One Half 一人一半”と“Half Each一人一半感情不散”は、元々一つの曲だったものを映画では二つに分けて使っているんですが、「これをあなたと半分こしましょう、今もらったあなたも誰かと半分こしてください、そういうのをどんどん繰り返していけば、みんなに分けられていって、おしまいにはならない」っていう歌なんです。特に詩的な曲でもないんですが、共鳴するものがあって、シンガポール人であれば、すべての人が歌えると思います。
――『881 歌え!パパイヤ』は、監督のこれまでの作品とは作風が違うと言われています。監督のお母さんも「今までの作品はよくわからなかったけど、『881 歌え!パパイヤ』はストーリーもよくわかったし、感動した」と話されていると聞きました。『881 歌え!パパイヤ』を作るに当たって、何か監督に心境の変化があったのでしょうか。
ロイストン:これまでの作品は、確かに母も、わからないわって言っていたんですが、そう言いながらも、彼女はずっと僕の作品を観続けて、応援してくれていました。でも、今回は、最初から彼女にも理解できる映画を作ろうと考えていました。というのは、世代から世代へとずっと歌い継がれてきたこういった伝統的な曲がシンガポールでも忘れられそうになっていたからで、とても美しい曲なのに、今これを映像にとどめておかないと永遠に失われてしまうかもしれない、とそう考えたからです。『881 歌え!パパイヤ』が、これまでの僕の作品と違うとしたら、最初にそういう思いがあったからだろうと思います。
――結果的にこの映画はシンガポールで大ヒットしたわけですが、これによって監督自身何か変わったということはありますか?
ロイストン:これまで僕は、限られた、アート系の分野でのみ知られているような存在でしたが、『881 歌え!パパイヤ』のヒットによって、全国的に知られるようになりました。これによって何を得られたかっていうと、「愛」なんじゃないかと思います。20年も30年も映画館に行っていなかった、すっかり映画から足が遠のいていたという人が、『881 歌え!パパイヤ』を観に家族と一緒に映画館へ足を運んでくれたと聞くと、とてもうれしいですね。
――新作の“12 Lotus 12蓮花”について少しだけ教えてください。
ロイストン:“12 Lotus Flowers”(12の蓮の花)という、曲に基づいた映画です。この曲は、12章からなっていて、愛、痛み、裏切りなど、いろんなことがある人生で、それを主人公である女性がどう生き抜いたかが綴られています。誰でも一つは重ねられる部分があると思います。
――『881 歌え!パパイヤ』とは出演者も重なっていますね。
ロイストン:ミンディー・オンとチー・ユーウーとリウ・リンリンが出演しています。チー・ユーウーは一人二役です。
注1:“Mami No.3 三号媽咪” 昔はダンサーで今は店のママさんになっている女性が自分のことを歌う歌。パパイヤ・シスターズがステージでタイ風の衣装で背中に大きな羽根をつけて歌う。
注2:“12 Lotus Flowers 12蓮花” 色街に生まれて悲惨な運命をたどった女性の人生を12章に分けて歌う歌。(1) ゲータイの女神からパワーをもらった後、パパイヤ・シスターズが歌う、(2) 「フルーツ戦争勃発」の新聞記事を見て、ワン・レイ、カレン、ビッグ・パパイヤの母が歌い繋いでいく、(3) 病院のベンチでリンおばさんが歌う、という風に3回歌われる。
注3:“One Half 一人一半”、“Half Each一人一半感情不散” 「半分こしましょう」というフレーズで印象的な曲。最初のチェン・ジン・ランのステージから、エンドロールまで繰り返し歌われる。