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COLUMN

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キング牧師没後50年!
モーリー・ロバートソンさん&
池田有希子さん
トークイベントレポート

『私はあなたのニグロではない』の主要登場人物のひとり、マーティン・ルーサー・キング牧師。4月4日没後50年の節目を前に、モーリー・ロバートソンさん&池田有希子さんご夫妻登壇のトークイベント付き試写会を行いました。おふたりが語るキング牧師の時代、そして本作の見どころとは…!?
白熱トークの一部をお届けします!

13歳、衝撃の差別体験

(モーリー・ロバートソン)僕は5歳から日本に住んでいたんですが、13歳でアメリカ南部のノースカロライナに戻って。主にアメリカ南部が公民権運動のいちばん緊張感ある場所だったのですが、当時黒人の住むエリアは街中で隔離されたスラム街で。そこから子どもたちの差別をなくすために、バスに乗せて遠くの白人の公立学校まで通わせるんですね。Busが動詞になってBusing、バスするっていうんですが、人種統合政策で黒人の子たちが朝一番に公立学校に来るわけです。そうするとそこにすごい緊張感があって。過密にバスに押し込まれて、出てくるなり皆で大きな声をあげたりドツキあったり、周り中みんな白人だから興奮しちゃってるのね。クラスの席も白人と黒人が並ぶように出来ているのですが、なかなかお互いに話すことはない。そこの学校に入ってまだ一週間くらいの時、僕が白人でも東洋人でもなく大人しいと思われたからか、病弱でいじめられていた黒人の子に暴力的にいじめられたんです。

(池田有希子)bully(いじめ)される側が、さらにbullyするっていうね…

(モーリー・ロバートソン)図工のクラスで皆で絵を描くんだけど、これも取ってつけたような人種融和政策で、白人・黒人・白人・黒人って並ばせて、大きな紙に「さあ、絵を描いて」ですよ。その大雑把さが、いかに上手くいかないかというね(笑)たぶん学校の先生も、人種融和なんてしたくなかったんですよ。イヤイヤやっていたんだと思う、僕の勘ぐりですけどね。僕はいじめられている黒人の子の隣りに座っちゃったもんだから、「お前メンチ切っただろ!?」みたいな、僕がビビってたら僕の描いていた紙をピャーっと破られて。仕方ないから別の所に座っていると、先生が「なんでお前絵を描かないんだ」って聞きに来る。それで「マイノリティ同士で話つけろ!」みたいになっちゃって(笑)。

(池田有希子)うわー!!

(モーリー・ロバートソン)やばい、放置なんですよ。それが1976年、77年頃のノースカロライナの人種融和政策の公立学校ですよ。これじゃもう勉強にならない。授業と授業のベルの間、みんな別のクラスに移動するんですよね。その間廊下が騒然となる訳ですが、そこで遊びなのか本当のケンカなのかわからない、迫真のプロレスみたいのをやっちゃうわけですよ。ちょっと人気のあるワルみたいのが「この野郎、お前なんて言った!?」みたいに。僕がアメリカに戻っていちばん最初の衝撃体験は「黒人とは怖い人たちである」というね。その後私学に移ったら、黒人はほとんどいなかった。「は~良かった、これで黒人から攻撃されなくて済む」って思ったら、今後は白人の標的になったね(笑)東京ローズとか真珠湾とか名前付けられて白人にも暴力振るわれて、「人間って暴力的だな、おしまい」みたいな(笑)

キング牧師とアメリカ

(モーリー・ロバートソン)普通に主張してデモ行進しただけで、警察による暴力がひどくて、場合によっては州兵が出てくるような。そういう中で、大きくアメリカで共有されているのがマルコムXとキング牧師なんですね。マルコムXは、白人による攻撃には武装してでも抵抗すべしという人で、彼は内輪もめで殺害されたらしいんですけど、過激な革命家とされている。キング牧師は他の白人の進歩派やリベラルな人たちと一緒に組んだので、いわゆるオバマ的というか、より多くの人に訴えかけることが出来た。両方の間に緊張感があるんだけど、どっちも黒人の地位向上を叫んだわけじゃない?そうすると結局、みんなマルコムXなんじゃないか、と白人は思うわけなんですよ。
豊かな都市部のいいとこの学校や知的な職業の人たちが、黒人や非白人を同等に扱おうと言う、彼らの周りは同じ職業についている黒人やヒスパニックばかりなんですね。ところが貧しいエリアに行くと、労働者で教育機会が少なかった黒人や白人、ヒスパニックがいて、どれも険悪だったりするんです。「融和なんて経験上無理」という人たちが多いわけね。リベラルエリートたちが綺麗事、都会の論理でポリコレを進めていたことに対する反発が、南部の州だったりミシガンのラストベルトみたいな所ではくすぶっていて、そこでトランプさんがチャッカマンで火をつけたらブワーッと燃え広がったみたいな感じなんですよね、今は。

(池田有希子)50年も経ったのに…

(モーリー・ロバートソン)まったく揺れ戻そうとしている。この映画、『私はあなたのニグロではない』は重くてコッテリした内容で、とても栄養価が高いと思う。中には2回3回観てやっと分かるような内容もあって、それを咀嚼した上で今のアメリカを見ると、今は人種の問題より階層の問題にシフトしつつあると。経済の格差で下に追いやられている、今はほんの少しの差でマジョリティになっている白人の人たちが、自分の居場所が無いということで、その不満を黒人だけじゃなくヒスパニックに向けていますね。どんどん数が増えてきて、不法移民ということで。かつて60-70年代はソ連との競争があったので、黒人解放運動の背景にはソ連、共産党がついているんじゃないかと。

(池田有希子)この映画のなかで、黒人たちが自分たちの権利を主張するんですけど「それはアカだ」と白人たちは思うんですよ。「皆が平等?それは共産主義だろう」みたいな。

(モーリー・ロバートソン)そんな感じに当時はなっていた訳ですね。今だと反グローバリズムとかグローバルエリートの陰謀がある、みたいになっていて、これはトランプさんのレトリックなんですけど。アメリカ南部、中西部に住んでいる人たちの非白人に対する嫌悪感を、反ポリコレという形で煽ってもう一回蓋を開けた感じ。再利用されているようなところがあるんですね。どのジャーナリストが、今のアメリカの問題と人種を掛け合わせて語っても、皆それぞれ違う答えになっちゃうんだけど、トランプさんはそこで共通解みたいなものを見つけちゃって。「ここのボタンを押し続ける限り俺は大丈夫」っていうのを見つけちゃったんですよね。その中に人種問題とかポリコレとか、移民反対、ムスリム反対みたいな。ある種トランプさんが今やっていることは、この時代まだ混沌としていたアメリカの対話無き対話、葛藤を集大成している感じだよね。最後の白人の悪あがきというか。

(池田有希子)集大成になりますか。終わりますか?

(モーリー・ロバートソン)40年後に白人がマイノリティになったら。

(池田有希子)数の論理でね(笑)

(モーリー・ロバートソン)この映画でも描かれているんですが、ハリウッドがある種意識の防波堤になっているんですね、白人文化の。黒人を使う時に徹底したステレオタイプでしか黒人をキャスティングしなかった。ところが今のハリウッドとか広告産業は、ミクスチャーの人とかたくさんいるよね。

(池田有希子)すごく批判の対象になったから、変わろうと頑張っている所かな、と思いますけどね。

(モーリー・ロバートソン)やっぱり白人でブロンドがいいね、とは言わないわけですよ。それ言っちゃおしまいなので(笑)いろんな屈折した背景もあるんですけど、メディア産業はどんどん人種融和、多様性の方向に進んでいると。メディア及びリベラルの人たちが、多様性という形で白人と黒人も含めた融和をもたらそうとしている。ところがダイバーシティなんて言葉がなかった時代に、身を投じた人たちが、血を流して権利を主張したという道筋ですよね、これは。

(池田有希子)ちょうど私がアメリカにいた頃に、マーティン・ルーサー・キングの休日が出来たんですよね。休日になったということはすごく大きかった。

(モーリー・ロバートソン)僕も最初は黒人怖いという体験をしていたのが、大学時代以降、少しずつ黒人の文化に深く触れることが出来て、ここ20年くらいは黒人の音楽、ファンク、ソウルといったものからクラブ音楽に入って、改めてゼロから勉強したら音楽家としてリスペクトが深く生まれ、逆算で歴史を調べて、知るべきことを知る事が出来た。自分としては今完全に多様化しているのですが、オバマの二期を経たアメリカで、不満を抱えている人たちがこの歴史をひっくり返そうとしていることがね。

(池田有希子)良くも悪くもダイナミック、というか。私はもうひとふんばり、オバマさんには頑張ってもらいたくて…。

(モーリー・ロバートソン)もう一回オバマに戻って、90歳まで終身大統領でいいね(笑)。

『私はあなたのニグロではない』を観る人に向けて

(モーリー・ロバートソン)どの国でも、マイノリティに対して寛容に、心を広げようとすると、いろんな複雑な感情が噴出してくる、綺麗な解決なんてないんです。問題を根底から解決できると考えるのはナイーブなんですけど、少なくとも知ることによって、新たな状況が押し寄せてきた時にパニックにならずに済む。たとえば朝鮮半島が有事になった時に、日本にいる在日の人たちに悪意が向けられないようにする、というのはひとつの課題だと僕は思っています。日本は差別なんてない国なんだ、そう言い切れるかどうか、そういう事も含めて考える素材になればいいよね。

(池田有希子)ジェームズ・ボールドウィンが「政府や政策なんてどうでもいい、ひとりひとりがどう思うかだよ」と言ってましたね。

(モーリー・ロバートソン)そうだね、それはいろんな運動に絶望したとも言えるし、新たな希望を個人のレベルで見出したともいえる。ぜひこの作品の強烈さを正面から受けて、考えるきっかけにしてほしいですね。